2015年1月アーカイブ
節分と厄除けと立春大吉
翠蓮でございます。
昔から立春は1年の始まりと言われており節分の翌日の2月4日を立春といいます。
立春とは「春」の初日になり春の季語が用いられる季節になります。
禅宗では立春の日に「立春大吉」とかかれた厄除けのお札を門扉に一年間貼ります。文字が左右対称になって見えるため、鬼は文字の裏面を読んでいても裏も表も同じ文字に見えてしまうため、鬼は家に入れず家の外に出ていってくれると言うものです。
厄災除けとして昔から大切にされているお札のひとつです。
立春とは冬と春の分かれる節目の日になるため節分を明けて立春と呼びます。
旧暦では1年の始まりを立春としたため2月3日は大晦日と同じように考えられていました。
節分は「鬼は外、福は内」と無病息災や家内円満を願い、豆に願いをこめて歳の数だけ食すとか
節分豆を通して厄除けが皆さんの家庭でもおこなわれると思います。
節分の豆まきの伝統行事に、最近では恵方巻きもブームになりデパートでは「ハイブリット恵方巻き」なる多種多様の恵方巻きも人気の様です。
恵方巻きの食べ方にもルールがあるようで、太巻きをひとり1本、恵方を向いて願い事をしながら黙々と食べる。
途中で喋ってしまうと運が逃げてしまうので食べ終えるまで口はきいてはいけません。
頑張って食べ終えるとその年は幸運がめぐってくると言い伝えられています。
節分に恵方巻きを食べるのには巻きずしを「巻く」ということから「福を巻き込む」・「切らずに食べる」ことから「縁を切らない」という意味が込められております。
また、恵方巻きを鬼の金棒にみたて鬼退治をするという意味も込められております。
恵方とは十干により、その年の幸運を招く方角のこと。歳徳神のつかさどる方角とされています。
恵方は毎年変わりますが、今年の2015年は西南西の方角になります。
皆様のご家庭でも今年の幸運を願い恵方を向いて厄苦を祓い開運を引き寄せましょう。
即應翠蓮 合掌
自分の心と向き合い、自己を整える
即應翠蓮でございます。
仏教の祖である「お釈迦様」が『法華経』にて述べられたお言葉です。
自分の心の中をしっかりと見つめ、自己を整えようとすれば、よりよく生きるための真理を知ることができます。
しかし、欲望のままに行動し、心を見つめることを怠れば、本当の自分を知ることはできません。
日常生活に於いて、人は雑事に心を惑わされてしまうものですが、折に触れて自分の心をしっかり見つめなおしてみましょう。
すると、物事や自分のあり方を冷静に判断でき、本当の自分に近づくことができるでしょう。
よい一日をお過ごしください。
即應翠蓮 合掌
苦は楽の種、楽は苦の種と知るべし
即應翠蓮でございます。
ドラマ「水戸黄門」でお馴染みの「徳川光圀」(水戸光圀)が『光圀壁書』にて述べられたお言葉です。
つらい苦しいことがあっても、それを乗り越えようと努力していけば、やがて喜びが生まれ、しばしの安息を得ることができます。
また、楽しいことが永遠に続くこともありません。つまり、苦と楽は背中合わせなのです。
もし、苦労が目の前に現れたときは、やがてやってくる楽しみを信じて、自ら苦に挑んでいくことも大切でしょう。
良い一日をお過ごしください。
即應翠蓮 合掌
学道に勤労して他事を忘るれば病も起るまじきかと覚ゆるなり
この世にて慈悲も悪事もせぬ人はさぞや閻魔も困り給わん
即應翠蓮でございます。
アニメ「一休さん」でお馴染みの臨済宗の僧「一休宗純和尚」が『狂歌問答』で述べられたお言葉です。
世の中には、他人を思いやり、情け深い人もいる一方で、何らかの事情で悪事に手を染める人もいます。
また、生きていくなかで誰しもが失敗したり、人を傷つけてしまうこともあるでしょう。
しかし、それも生きていればこそなのです。
与えられた環境の中で何もせず、ただ単に日々を過ごすことは生きていると言えるでしょうか。
一休は、生きていればこそ、良いことも悪いことも重なり、互いが切磋琢磨し合う人生を送ることを望んでおられたのだと思います。
失敗することがあっても間違えを恐れず行動する。これが大切なことでしょう。
良い一日をお過ごしください。
即應翠蓮 合掌