心・禅・美的コラム『般若心経』を説くvol.1
翠蓮でございます。
日本には数多くの経典が存在します。『般若心経』や『正信偈』など、広く信仰されているお経のなかから、今回は『般若心経』について皆様に、分かりやすくお伝えさせて頂きたいと思います。経典の意味や教えを知ることで、皆様の今後の人生の一助になれば幸いです。
まず、『般若心経』とは、正式に『般若波羅蜜多心経』(はんにゃはらみたしんぎょう)といい、西暦2~3世紀にインドの龍樹という僧が注釈書を記した『大智度論』を記した時に成立したとされています。
内容は「空」(くう)について説かれており、これからのコラムの中でその真髄を分かりやすく説いていきます。
まずは『般若心経』の一行目
「観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。」
(かんじざいぼさつぎょうじんはんにゃはらみたじしょうけんごおんかいくうどいっさいくやく)
について理解をしてみましょう。書き下し文は以下のとおりです。
「観自在菩薩が、深く般若波羅蜜多を行じたとき、五蘊(ごおん)は皆空なりと照見し、一切の苦厄を度したもう。
」
観自在菩薩という、位の高い修行者(以下、菩薩)が「般若波羅蜜多」という修行を深く行いました。この般若波羅蜜とは、般若は智慧、波羅蜜は完成を意味し、直訳すると「智慧の完成」となります。
「智慧の完成」とは具体的に何を指すかというと、六波羅蜜という修行を行います。
1.布施・分け与えること。
2.持戒・戒律を守ること
3.忍辱・耐え忍ぶこと。
4.精進・努力すること。
5.禅定・特定の対象に心を集中して、散乱する心を安定させること。
6.智慧・上の五つの波羅蜜は、この般若波羅蜜を完成するための手段であり、般若波羅蜜の完成によって成就される。
以上のことから1~5の修行を行うことにより、6の智慧が得られるとされており、結果「智慧の完成」=「般若波羅蜜」となります。
経典に戻ります。この「般若波羅蜜多」を修行した、菩薩は五蘊は全て空であると理解しました。(照見五蘊皆空。)
五蘊とは
1.色・目に写るもの全て
2.受・体に感じるもの全て
3.想・思い浮かべるもの全て
4.行・行うもの全て
5.識・認識するもの全て
を指します。
この五蘊が全て「空」であると菩薩は説きました。
空とは、宇宙です。姿、形がなく、実体がありません。また存在しないわけでもありません。あるように思えてないようにも思えるのが「空」という思想です。
菩薩は、修行を通じて、五蘊が全て空だと説きました。
例えば、1の色で例えるならば、海は何色でしょうか?青色ですね。しかしそれは、自分の目がそう写しているだけであって、他の人は黒色に見えるかもしれません。
2の受で例えるならば、リンゴ状の物に触れてリンゴと認識しますが、他の人が持ったら野球ボールと認識するかもしれません。
3にしても、自分がそう思っただけで、他の人は違うことを思うかもしれません。4も自分が行うだけで、他の人が行うわけではありません。
以上のことから、全ての認識=脳の働きというのは固定的不変的な作用がなく空であるのだと、菩薩は悟りました。
これにより菩薩は「度一切苦厄。」全ての苦しいことや厄(わざわい)をあの世に渡せて、穏やかな境地を開きました。
このことから『般若心経』の一行目をまとめると
「菩薩が般若波羅蜜という修行を行ったら、諸々の事象が全て空であると理解しました。すると苦しいことや厄がなくなり安らかな気持ちになれる。」
という意味になります。
次回のコラムでは2行目について説いていきます。
即應翠蓮 合掌