【心・禅・美的コラム】昔と今を繋ぐ「魂のDNA」とは・・・
即應翠蓮でございます。
仏教に於いてご先祖様がいらっしゃる「死後の世界」とは、古代のインド人が教示した原始仏教では現世を「苦しみの多い世界」と考え、6つの世界に分類することで(天界・人間界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界)、死後はこの六道(ろくどう)を輪廻転生すると考えたのです。
古代インド人は苦しみも輪廻転生してさらに苦しみを続けるといった永遠説を唱えたため、仏教では、六道輪廻では永遠に苦しみから逃れることができないと考えました。六道から脱出することを「解脱」といい、解脱した状態を「涅槃の境地」と示しました。現在、一般名化されている、極楽浄土とはこの意味からきています。
神道では、死後は他界(たかい)へ行くとされていますが、死後の霊は邪霊や悪神を持ち、永遠に光のない暗黒世界であり、悪神が支配する汚辱の国であると考えられていました。それを浄化する為に祭祀を行い、祖霊を経て祖先神になる儀式をしました。また、人間の生活する現世は太陽の満ちあふれた光明の国であり、善神が主宰する楽土であると考えられていました。
神々の世界は、黄泉(よみ)の国・常世(とこよ)の国であり、山中他界観という考えがあるといいます。
山中他界とは山岳信仰、霊山信仰、民間信仰などで、山に霊魂がいく浄土がある(山中他界観)と考えられています。
神道では死んだ人の霊魂や、神がいる場所を「高天が原」私たちが住んでいる地が「中つ国」そして地下には「根の国」があるとされています。また、民間信仰の中には集合霊になって冬になると山頂に行き、春になると山から下りて田の神になるという信仰がありました。こうして日本人の心は仏教や神道とわず霊魂と先祖を崇拝し共に暮らして来ました。その最も身近なお迎えの行事が正月やお盆です。そこには日本人の霊魂についての考え方が色濃く宿っています。正月はお正月様、年神様、歳徳神などと地方によって呼び名も違いますが先祖の霊たちは、自分がかつて住んでいたところに帰ってきます。そのための準備をするのが十二月十三日のすす払いです。(起源は江戸城で行われていた行事)先祖の霊を迎えるために家を掃除し祭壇をお祀りします。門松は、先祖の霊が迷わぬよう目印となる依り代です。そして帰ってきた先祖の霊には神饌(野菜・果物・魚介など)をお供えした後、それを下げてみんなで一緒に食べることでお雑煮になるのです。なぜ正月にお雑煮を食べるかということを知れば、先祖を大切に思うことができるはずです。
このお雑煮ですが語源は「煮雑(にまぜ)」で、いろいろな具材を煮合わせたことからきています。
また、民族学者の研究によると、もともとは餅ではなく里芋でそこに霊魂が宿っていたとされています。その後、餅になります。お供えする鏡餅を二つ重ねるのはつつがなく年を重ねるという意味が込められています。お年玉というのは餅の中に宿る霊魂のことでそれをみんなで食べるのです。お年玉がいつからお金になったかは定かではないのですが今では定着してしまいました。お歳暮は正月に親元や家長の家で霊魂となった神様といっしょに食事をするために持ち寄る食糧でした。お中元もお歳暮と同じ意味をもっています。お盆も先祖の霊を迎え入れる大切な行事です。地方によって異なりますが7月13日~16日または8月13日~16日の4日間は先祖の霊を祀る大切な行事なのです。13日に迎え火を行い、先祖の霊を家に迎え入れます。御馳走をお供えし4日間ご先祖様と過ごし16日には送り火を行います。このように日本人は死者の霊魂を一年の行事を通して大切にしてきたのです。ご先祖様の死後計り知れない年月が経過していても私たち1人1人に宿る血脈の源である「魂のDNA」は昔と今を繋いでいます。
即應翠蓮 合掌